京都西院ボクシングジムの求めるトレーナー像について
私は、指導者は秀才(天才)より鈍才が好ましいと思っています。
なぜか?
一概には言えませんが、秀才(天才)は上達のプロセスが理解しにくいのではないかと思うからです。
(※ ココでは上達のプロセスなんて頓着することなく一気に高みに達してしまう人のことを「秀才」と呼んでいます)。
ですから秀才系の指導者は、鈍才をみると往々にして「なぜ、こんな簡単なことができないのか?」と思ってしまうのは至極当然のことでしょう。それは、長嶋さんが、「どうしてそんな球が打てないのか?」、「どうしてそんな簡単な球を受けられないのか?」と言っていたのと同じではないでしょうか。
秀才集団の中では良いかもしれませんが、それでは指導になりません。
どうすれば上達するのか?
このことが一番分るのは多分、鈍才だろうと思います。
ただし、単に鈍才で、かつ鈍才に止まっているような人では困ります。
ですから、指導者として最も好ましいのは、もともと鈍才の人が苦労に苦労を重ねて秀才になった人だと考えます。
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そのような人にしか万人に受ける上達のプロセスは分らないと思います。上達のプロセスが分らなければ指導者たり得ないものです。地道なスッテップを、上達していく喜び、勝つ喜びを説明できませんから。
とはいえ。
例外もあります。
余談になってしまいますが、西院ジムにて合同練習を担当していた小牧トレーナーや、木村トレーナー。そして現担当の桶川トレーナー。
彼らはそもそも秀才(天才)でありながら、ご自分を一旦鈍才の立場においてみることが出来る人でした。これはなかなか出来ないことです。大概、指導者は今の自分を物差しにするものです。自分を相対化する、ホントにすごいなと思ったものです。
西院ジムでは、老若男女を問わず全ての練習生にボクシングの楽しさ(上達してこそ楽しさが分かります=ボクササイズ的に形が悪くとも思いっきりパンチを打ってストレス発散なんてことは誰でも出来ます)を伝えることの出来るトレーナーを探しています。
ボクシングが大好きだから、誰よりも努力し、様々な壁を乗り越えてきた「経験」と「実績」をお持ちの方。
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